ワシ流、野外教室

教育

 少し前、6月6日の回とタイトルが似ていて紛らわしいのですが、今回は、公立小学校教諭として10回の5年部=野外教室経験者として、ワシ流のノウハウをまとめます。

基本は「生活をつくる」という意識

 未知の体験は、誰にとってもスリリングです。ましてや、子供にとって「お泊まり」という言葉は、期待と不安、魅惑と恐怖の入り混じった、なんともエキサイティングな響きを持っています。これによって生じる全身全霊の前傾姿勢をビックチャンス!と歓迎しない者は、教育者少なくとも公立小中学校の教師には向いていないと思います。

 学習指導要領では、特別活動>学校行事>遠足・集団宿泊的行事にあたりますが、その内容は、以下のように書かれています。

自然の中での集団宿泊活動などの平素と異なる生活環境にあって,見聞を広め,自然や文化などに親しむとともに,人間関係などの集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積むことができるような活動を行うこと。

 まぁ、その通りだと思いますし、異論はないのですが、なんだかお硬くて血の通わない印象を受けてしまいます。(ワシだけではないですよね。。。)

 ワシは、この活動に取り掛かるとき、次のような話を子供たちにします。

 『野外教室が他の色々な行事と違って特別な理由は、“生活そのものをみんなでつくる”という点にあります。生活に必要なものをかついで目的地まで移動し、慣れない環境の中で何とかして、衣・食・住を確保する。一人では決してできないからこそ、生まれも、育ちも、性格も、得意なこともばらばらなメンバーが、知恵と力と技を出し合って、様々な困難を乗り越えなければならない。そして、んな大切な仲間だからこそ、みんなが満足できる1泊2日になるよう、全員で努力しなければならないんだ。生活には、色々な側面があって、全部が得意なんて人はいないけど、みんなも一人一人が好きなことや得意なことを持っている。料理は苦手だけど力仕事には自信がある子、大きな声は出せないけど作業が丁寧な子…、一人一人がそれぞれの良さを生かしてみんなのために役に立とうとすれば、絶対になんとかなる。ワシは、そんな取り組みの中で、普段の教室では見ることができないみんなの個性や才能を見つけるのが大好きなんだ。そりゃ、大変だけど、その分成し遂げた後の達成感は大きい。さぁ、一緒にこのメンバーにしかつくれない、君たちらしい時間と空間と思い出をつくろう!

苦労をするから多くの感動と学びがある

 ”必要は、発明の母”などと申しますが、“不便は、必要の母”であり“苦労は、感動の増強剤”だと思うのです。よって、前述の「みんなでつくる生活」は、可能な限り不便で困難な方が良い(ちょっと言い過ぎかな?)と考えています。

 例えば、大学時代におやこ劇場の高学年キャンプ(「ワシ流、野外活動(6/6)」参照)でキャンプ長をした際には、この方針のもと”ライターとクーラーボックス禁止令”を出しました。これにより、子供と班付きのリーダー(高校生から社会人)は、1ヶ月ほど前から始まる事前の班会を通して、”タンパク質をどう確保するか”とか”どうやって火をつけるか”に知恵を絞る必要が生じるのです。

 学校では、”全ての荷物を自分の力で運ぶ”、”マッチ・ライターを使わずに火を起こす”、”テントを自分たちの力でたてる”、”アルミ缶2つを使って、自分の米を炊く”などなど、様々な負荷をかけてきました。最近では、保護者に大きな荷物を運んでもらうことも増えましたが、長い坂道を大荷物を背負ってひたすら歩いていると、必ず不平や泣き言を言い出す子がいますし、歩くスピードに大きな差が生じることもよくあります。しかし、「班で一緒に歩く」は絶対条件ですから、元気な子が遅い子を押したり、引っ張ったり、荷物を手分けしたりといったドラマが生まれるのです。

 また、“良さを出し合う”“多様性を強みとする”という意味でも、このようなハードでイレギュラーなシチュエーションが最適です。授業中の課題とは違い、誰かが何とかしなければ生活が成り立たないのですから、必死に準備をしたり、練習をしたりすることで、日常とは違う新ヒーローが誕生するのです。

かけがえのない”一人一役組織”で責任感と所属感を引き出す

 学年の人数によって、多少の変化が生じますが、これが基本的な組織構成です。各係は、それぞれ生活を営む上で必要不可欠なエキスパートであり、その知識やスキルなしでは、みんなが困ってしまうようになっています。そのエキスパートが、各班に1人づついて、それぞれの役割を果たしながら互いに助け合うのです。こうすることで、一人一人は、自分の責任感と所属感を否応なしにしっかりと持ち、かまど係は火起こしの技術を、またテント係はテントの立て方を必死に習得しようと努力するのです。授業中の話し合い活動で行われる、ジグソー法に考え方は似ていますが、ワシがこの方法に辿り着いたのは、20年前です!えっへん!       

 このようなコンセプトですから、各係の役割や組織の意味を説明した後、最初に決めるのは班ではなく、係です。どの係なら、自分らしく班のみんなのために貢献できるかを考え、家族とも相談した上で、希望書を出します。どうしても、人数調整は必要になりますが、第一希望になれなかった子も納得して第二希望の係につけるよう、時間をかけるようにしています。

 準備の時間は、「班会」「係会」「全体会」で計画されますが、この原案を立てるのが、各係長で構成する実行委員会です。実行委員長は、係長の中から選ぶこともあれば、一番最初に一人選出しておいて、その子は係長にはならないようにすることもあります。実行委員会は、毎週決まった曜日に開き、縦に日付、横に学校行事、時間割(活動可能な時間が見える)、各係が項目として仕切られた、大型スケジュール表を囲んで、進捗状況を報告しあったり、活動計画を練ったりします。本番の1〜2週間前ともなると、時間の奪い合いになります。「今はとにかく火起こしの練習時間が必要だから、係会を多くして欲しい!」とかまど係長が言うと、「いや、みんながキャンプファイヤーの歌や踊りをまだ覚えていないから、全体会にしてよ!」といった具合です。もちろん、こちらも予備の時間は考えてあるのですが、簡単には提案しません。困り果てた実行委員長が、「先生、計画があまかったです。すみませんが、何とかなりませんか?」と言ってくるまで我慢です。

結局のところ、自己満足?

 今年は、4・5年生の複式学級で、それでも15人に満たない少人数。しかも、コロナのために体育館で宿泊…と、かなり特殊な年でした。しかし、昨年受け持った6年生が、何もかも中止となってしまったことを思えば、泊まりで実施できるだけ幸せ!と、張り切って取り組みました。途中、アルミ缶炊飯(ソーシャルディスタンスで炊飯できるように)の最中、一時的な暴風雨に見舞われたりもしましたが、1週間前の予報では全滅を覚悟していただけに、全ての活動が計画通りに実施できたのは、奇跡でした。火起こし係は、2回ともなんとか火を起こすことに成功して皆に感謝されましたし、食事係は、係会で行っていた実験の成果を踏まえて、自信満々にアルミ缶炊飯の説明をしていました。体育館では、生活係が地道に全員分を用意した段ボールマットが、2メートル間隔で並べられ、キャンプファイヤーも、レク係の大ハッスルに呼応するように、普段おとなしい子も、これまでにない程のパフォーマンスを見せてくれました。

 しかし、今流行りの「働き方改革」の視点で言えば、ワシの準備は、決して持続可能な仕事量ではありませんでした。火起こし器を作るのに5時間、追跡ハイクのコマ地図を作るのに4時間。また、複式解消支援員として、ペアを組んでいる方も、アルミ缶炊飯の研究や準備、食材の買い出しなどで、とても非常勤講師の勤務とは言えない過剰な労働を、文句一つ言わずにやって下さいました。管理職を目指していた時は、論文形式の試験に備え、このような過剰労働をさせないための方策をいくつも考えていたのにこの有様です。。。若い頃は”自分らしさ”こだわり、『さすがだね』とか『君じゃなきゃできないね』と言われることに有頂天になっていました。しかし、学校という公的機関が提供するサービスとしては、教師や子供のあり様によってある程度の違いがあったとしても、担当者の年齢・性別・体力・家庭環境などに関係なく、誰が担当しても、同レベルな教育サービスが提供されるべきなのかも知れません。ワシも子供たちも、大変満足はしているのですが、来年の担当者に同じことを要求するのは、やはり間違っています。つまり、ワシがやらなくてもいいことまでやっていることは、”自己満足のため”と言われても仕方がないことなのかも知れません。

PS.葛藤…

 うーん。。。昨夜一気にここまで書き上げておきながら、翌日になると、この段落で終わっていいのか?という思いが抑えられなくなってきました。すなわち、もしワシが”自己満足”をやめ、勤務時間内に収まる働き方でこの行事に臨んでいたら、“持続可能なそこそこの野外教室にすることができた”と満足できたのか・・・ということです。答えは否です

 今回の学習指導要領から設けられた「総則」には、「指導の個別化」と「学習の個性化」という言葉が出てきます。ならば、”指導方法の個性化”は、間違っているのでしょうか?

 やっぱ、組織の中で働くのは、ワシに向いてないのかなぁ?

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