このGWでは、プロゲートによるプログラミング学習をすすめようと考え、今日も4時間ほど取り組みました。教職を離れ、フリーランスとして独立するために、いろんなことに挑戦している(詳しくは過去ログをご覧ください)のですが、普段、導く立場から「学習(者)」について考えているワシが、こうして純粋な“学習者”になってみると、改めて気付かされることもたくさんあります。今回は、そのひとつであるタイトルの件について書きます。あるときは、教師としてのノウハウやアドバイスについて、またあるときは、キャリアチェンジの挑戦について書いているこのブログですが、今回はその両方です。
「プロゲート」進捗状況…
新しい挑戦へのフィールド候補として、プログラミング学習は、最上位グループの一つです。「いろいろとさまよっている時点で、“負け組”路線まっしぐら?」という説もありますが、少なくとも今年度いっぱいは、教職員としての責務をまっとうしつつ、副収入を得るわけにもいかないので、これしかないと割り切り、信じて続けようと思っています。
さて、オンライン学習サイトとして有名なプロゲートの有料会員となって3ヶ月ほどが経ちます。学年末、卒業式、新学期…と、なかなか時間がとれなかったり、他にもお絵描き練習や情報収集に時間を使ったりで、現在はこんなレベルです。今日は頑張ったといっても、調べてみれば、今日の獲得経験値1950EXPなんて、全国ランキングは1596位…トップの45050EXPの23分の1です。いやぁ、無料の動画やマンガの誘惑、おそるべし。。。
「本当に役に立つの?」というモチベーションの足かせ
本格的にプログラミングの勉強をしてみようと思って、手探りでいろんなサイトや動画を見始めた4か月前、「プログラミング言語って200以上ある!?」「ある成果をだすプログラムも、作り方は多用で、どんどん新しい言語も出ているので、何がベストかは断言できない!?」ということがだんだん分かり始め、その度にしばらくフリーズしながら虚空を見つめたものです。それでも、学習すべき言語をいくつかに絞ってレベル上げに努めていますが、ちょっと複雑なコマンドの学習をしていると、辛くなった脳が「これ本当に役立つの?」と、“逃避”や“言い訳探し”を始めてしまうのです。
プロゲートは、よくできた学習サイトです。ビギナー向けに、使用頻度の高いコマンドを厳選し、汎用性の高い実用場面を用いた演習が要所要所に用意されているのだと感じます。しかもワシは、子供の頃、「ベーシック」という雑誌に掲載されていたプログラムを、訳もわからぬままやみくもにパソコンで打ち込んで喜んでいた経験もあるし、情報教育担当者として、ICT関連の知識や経験も必要以上に積んでいます。
それでも、やっぱり新しいことを学ぶということは、大変なことなのだと、今更ながら改めて痛感しているのです。
いわんや児童・生徒をや…
『君たちは今、自分の未来の可能性を…選択できる道を少しでも広げるための勉強をしているんだよ』『あたらしい世界への挑戦には、必ず“言葉の壁”が立ちはだかる。それを乗り越え、自分のものとして普通に使いこなせるようになった時、進化した自分として、より高く、より広いフィールドを歩き始めることができるんだ』…みたいなことを、よく熱弁しています。もちろん本心です。愛すべき子供らが、一生懸命耳を傾け、うなづきながら聴いてくれているのも、ワシの真剣な思いをちゃんと受け止めてくれているからだと信じています。
しかし、十分理解できなかったり、うまくできなかったりして、明らかにモチベーションを下げている子に対して、(こんなにやってあげているのに)とか、(なんで分からないんだ)などとフラストレーションを感じてしまうことは、若い頃に比べれば非常に減ったとはいえ、やはりゼロではないのです。
“主体的、対話的で、深い学び”、“「自分ごと」としての学び”…などなど、教務主任として、教頭試験受験者として、さんざん考えてきたし、現在だって学級担任や研修主任としてずっと考え続けています。しかし、それでも尚、“学び手の視点で考える姿勢”が十分ではなかったと、今は思えます。
正しいかどうかはともかく、少なくともワシは、自分から進んでプログラミングの勉強をしています。誰からも強制はされていないし、妻や校長は快く思っていないことも承知でやっています。(仕事はちゃんとやってますよ)やめようと思えばいつでもやめられるし、もしかしたら、そのほうが安定した幸福な将来が待っているかもしれないのに、続けています。ところが、子供たちは、好むと好まざるとに関わらず、誰も彼もが、とにもかくにも、学習指導要領が示す学力を身につけなければならないのです。「主体性は教えられるか」の著者、岩田健太郎氏は、学習指導要領について以下のように書いています。
そもそも学習指導要領が生徒・学生の自主性や主体性を強調するということ自体、矛盾である。役所が規定的に自主性を重んじなさい、学習者の個性を重要視しなさい、と教育者に強要しているのだから。教育方針を強要され、規定され、個性も自主性も主体性も奪われた教育者が、生徒・学生に個性、自主性、主体性など教えることができるわけがない。・・・
個人的には、かなり共感できます。しかし、ワシはなにも、日本教育を全否定しているわけではありません。学習指導要領の価値も認めていますし、このGWが明けてからのワシの指導者としてのモチベーションが下がるわけでも、指導方針が大きく変わるわけでもありません。(あ、研究授業の構想と学年だよりやらなきゃ…)ここで言いたいのは、今一度、子ども一人ひとりの目線や思考について、同じ成長過程の学び手として、敬意や愛情をもって真剣に考えなくては!という、自戒であり、決意なのです。
あらら…、1時37分。早く寝て、明日は昼寝しないようにしないと、グダグダ連休になりかねん。。。おやすみなさい。。。
コメント