本気になったきっかけは、ハリーポッター
英語は、中学の頃から好きでした。理由は、かっこいいから!人目をあまり気にしない性格なこともあって、聞いた通りのリアルな発音の再生をなりふり構わず実践していたのもプラスだったと思う。また、当時から”試験のための英語”じゃなくて、”外人と話せる言葉”でないと意味がないと考えていたから、一人の時、例えば犬の散歩中などに(あっ、この場面は、習った英語で言えるかも…)なんて思いつくと、英語にしていつか使うかも知れないその日に備えてたっけ。でも、高校時代はとにかく勉強しなかったから全然伸びませんでした。
そんなワシが、小学校教師として社会人となってから本気で英語の勉強をはじめたのは、2003年(教員13年目、35歳、3児の父)のことでした。クラスの子が夏休みの宿題で書いてきた読書感想文の本、「ハリーポッター」との出会いです。力があるのに表現の乏しい子だったので、共通の話題になればと思い、1巻「賢者の石」を読んでみると、これがおもしろい!!!当時、発売されていた3巻まで、ノンストップで読み切ってしまいました。ヴォルデモートが復活した後の魔法界は?ホグワーツは?もしや、マグルの世界にも影響が!!!…と、4巻を待ちきれないでいると、英語版はとっくに世に出ていて、日本語版が出るのにはまだ半年かかるということを知ったのです。中学時代の「英語版を読んだらきっとかっこいい!」という目立ちたがり根性もむくむくと復活し、「まぁ、半年頑張れば、なんとかなるでしょ」という、いつもの根拠のない自信に従って、さっそくHarry Potter and the Goblet of Fireを購入し「翻訳ノートをつくっちゃる!」ぐらいの勢いで読み始めました。が、、、いやぁ、、、読めないもんですねぇ。辞書を引いてもすっきり訳せない文もたくさんあり、1ページに2時間かかることもざらでした。でもって、数章いったところで、めでたく日本語版の発売。こちらは、1日で読み切ったのでした。
記念すべき、言語のハリポタ第1号。ペーパーバック版にしたのは、こっちのほうがネイティブっぽいと思ったから(笑)。電車の中とかで、はりきってこれ見よがしに読んでましたね。この頃は、スマホの翻訳アプリの性能が今ほどよくなかったので、専ら電子辞書を使ってました。
英語学習の極意その1=読み飛ばし
5巻Harry Potter and the Order of the Phoenicsは、もちろん発売と同時に購入!そして、1年たっても半分くらいまでしか読めず、日本語版の発売!(T ^ T)
それでも、スピードはかなり早くなっていました。読めるようになったのではありません。読み飛ばせるようになったのです!分からない単語がいくつかあっても、(たぶん、こういう内容だろうな)と思えれば先へ進み、何度も出てくる単語やイデオムは辞書をひく…という技?を自然にみにつけたとも言えます。これが、語学を進める上での重要なポイントだと知ったのはずっと後でした。ちなみに、6巻6巻Harry potter and the Half-Blood of Princeのときは、半年位でなんとか読みきることができるまでになっていました。ところが、誰かに教えてやりたくでも、残念なことにそれはほとんど出来ませんでした。そりゃそうです。大好きな人はネタバレなんて望まないし、興味のない人はそもそも、どうでもいいのですから。。。ヽ(`Д´)ノ
英語学習の極意その2=がんばらず・あきらめず
ハリポタのおかげで、英語学習に目覚め、ちょっと鼻を高くしていたワシは、これまたいつものようにお調子に乗って、様々な分野に手を出しはじめました。当時はまだ珍しかったALTに、英語で日常会話(っぽいやつ)をもちかけてみたり、英語圏の子供向けの英英辞典Children’s Dictionaryを買ってみたり、リスニング教材を始めてみたり…。
中でも、効果があったのは、通勤の車中で聞くCD教材や、ラジオ(NHKの英語学習番組)でした。とにかく、通勤時間というものは、毎日、一定時間のルーティン学習にはうってつけです。6時にはじまるNHKの「基礎英語1」から「2」,「3」、そして「ラジオ英会話」と続く1時間は、今なお続くワシの生活の一部です。
”続ける”のではなく、”やめない”。習慣になれば、ちっともつらくなんかありません。でも、最初のうちは「基礎2」でも1度で聞き取れなかったのに、今では「ラジオ英会話」もほぼ1度で内容を掴めます。電子書籍で読み始めた村上春樹の「1Q84」なんて、気が向いた時にだけ読みすすめていたので3年くらいかかったと思う。
同僚:「最近読んでる?」
わし:「最近は読めてないなぁ」
「やめたの?」「いや、やめてないよ」
「いつ終わるのさ?」「いつか、必ずさ」
…そう。どんなにかかろうと、どんなに間があこうとやめなければ、いつか必ず達成するのです。
英語学習の極意その3=見えるゴール
長男が英検の準2級をとった時ですから、2010年ころでしょうか?ハリポタも読めたし、「息子に負けてはいられん!」と思い、2級を受けたら1発合格でした。そこで、お調子に乗るのがワシのワシたるところです。すぐに、準1級を受験しました。が、、、いやぁ、、、できないもんですねぇ。ほぼ、ちんぷんかんぷんでした。2級の時にもちょっと感じていたのですが、級が上がるにつれ、内容が、日常的なものから学術的なものに変わっていきます。「解剖学anatomy」なんて、日本語でも使わない単語がバンバンでてくるのですから、嫌になります。
でも、受け続けるのをやめませんでした。理由は・・・強いて言えば「始めたから」。やっぱり、「まぁ、いつか受かるでしょ」と思ってました。この本を読み終える!というもの良いですが、やはり、客観的な資格や点数は、モチベーションを上げてくれます。仕事的にも、研修主任や教務主任を任されるようになっていたので、年に3回ある試験を欠かさず受験していたわけではなく、1年空いたこともありました。それでも、受けるたびにちょっとずつですが、点数があがっていたので、「いつか受かる」と思い続けることができました。そして、2016年の10回目のトライで、はじめて1次試験をパスし、2次試験は1発合格でした。流石に1級はめざしません。英語の論文を読んだり書いたりしたいわけではありませんから。
<PS.>
受験料は「合学した時は家計から出す」との妻に従い、9回目までは自分の小遣いです。途中から、小学校教員の英語力向上のために国から補助金が出るようになったのは、ありがたかったぁ~~~。
英語学習の極意その4=やっぱり言葉は生活道具
ここまで書いてきて改めて思うのですが、「かっこいい!」「くやしい!」とは別にもう一つあり続けたモチベーションは、やはり「いろんな人と話したい」だったと思います。大学時代に、友達に誘われて1ヶ月のアメリカ貧乏旅行をしたときも、一番想い出に残っているのは、飛行機の中でたまたま隣に座ったビジネスマン(京セラの社員でした)との会話でした。「私は、音楽教師を目指している大学生なんです」だとか、「タイガースはアメリカでも日本でも、マイチームなのさ!」などといった他愛もない会話だったけど、学習ではなく日常の一部として、自分の意思で会話したという充実感は、2人の友達と離れた席になったことに感謝したほどでした。
そしてこれは、個人的に恵まれていた点ですが、義理の妹がドイツに住んでいまして、時々帰ってきたとき、日本語の話せない彼女のパートナーと”直接話すには英語しかない”という点もグッドチャンスでした。彼はとてもいい奴で話していて心地よいし、お互いの英語も流暢ではないので、「何とかコミュニケーションしたい」というお互いの思いで、知っている単語やフレーズを駆使してこちらの意図を伝えるというハードルはどんどん低くなっていったのです。「休みを取っていっしょに富士山登ろう!」と言ってくれた彼と、「昼過ぎ(こちらの昼休み)に、富士山頂と学校から携帯で話そう!」と約束し、本当に話せたときは感動でした。
英検に区切りをつけてからは、勉強の的を会話力に絞りました。といっても、相変わらず隙間と無料という方針は変えません。実際、9時とか10時まで職員室にいる生活では無理なんです。朝の車内ラジオ学習というルーティーンは相変わらずですが、NHKラジオの聞き逃し受信アプリに、語学学習専用のゴガクルが出来たので、こちらでは、「英会話タイムトライアル」「入門ビジネス英語」「実践ビジネス英語」をよく聞くようにしました。
ALTは、絶好の練習相手です。最近は、日本語が堪能なネイティブスピーカーが雇用されることが多いので、職員室で英会話をする人はほとんどいないのが現状ですが、ワシはALTとは英語で話すを自分に課すようにしました。今では、電話でもオールイングリッシュで打ち合わせができますし、休みの日にプライベートでお茶をするALTもいます。そんなワシを初めて見た人の多くは、「いいなぁ」「私もそんな風に話せるようになりたい」と羨ましがりますが、「本当にそう思うなら、英語で話すようにすればいいじゃん!」「はじめは話せなくても、通じなくても、リアルに困って、それでもなんとか伝えきるというのが、最高のトレーニングじゃん。なぜしないの?」と思います。また、教育委員会も日本語が話せないALTを雇った方が、教員のためにも子供のためにもいいのに…とも、思います。(最近はめんどくさくなったので、思うだけですが…)
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